2016年2月9日火曜日

池田の油屋

油 屋
「井戸の辻」の東詰めに「油屋」がありました。現在はしもた屋となっていますが、池田市の「まちなみ保存整備事業」に協力されて江戸時代の趣そのままの景観を残す建築物に修築されています。ここ「山城家」は江戸後期から明治初年まで油屋を商い、それ以前は塩干物屋でした。今も「油屋さん」と年寄りの記憶に残っています。
 「油」は平安時代から戦国時代まで灯明・照明として主に「荏胡麻油」(えごまゆ)が用いられていました。灯油としての油商人が権益として組織されたのは承久の乱(1221年)の後政情不安な頃、京都山崎で「山崎油座」が結成されて大規模な灯油の商活動が開始されました。山崎油座は「男山」(石清水八幡宮)の神人(じじん)として権益を得て、八幡神威力の及ぶところ無税で専売を強行することが出来ました。隊商の護衛や既得権益の確保のために武装し、ときには武士に加勢する武装集団として山崎衆とも呼ばれました。

しかし「山崎油売り」も大坂近郊に生産され出した「菜種油」「綿実油」のために販路を奪われ元禄時代には敗退してしまいました。H23.6.(2011)

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