井戸の辻
昔から現在の栄本町(8-1付近)は「井戸の辻」と呼ばれて来ました。「辻」と言うのは道路が十字形に交差している所です。ここは江戸時代「高札場」(御制札場)のあった場所で池田村の要(かなめ・へそ)とも言える拠点でした。またこの地点は猪名川と五月山の伏流水の集まる所で酒の醸造に適した良質の水が湧き出る井戸が多く掘られて「満願寺屋」「大和屋」「菊屋」「山本屋」など酒造家の密集する地域となっていました。そして何よりもここは「能勢街道」「有馬道」(中山道・巡礼道)「妙見道・余野街道」が交叉・分岐する交通の要衝に当たることです。
この様な環境・条件に恵まれて旅人・巡礼・物資の運搬人などの通行の絶えない繁華な町が形成されて行きました。在郷町と呼ばれた池田村は物資の集散地として商業の中心地ともなり、能勢街道を挟んで西本町と東本町に区分されていました。米屋町・中之町なども商業地域として賑わいました。月に12回定期的に開かれた「十二斎市」・10月20日前後に行われた「誓文払い」には近郊から群集が詰掛け盛況を呈しました。小売・卸問屋の他に「料亭めんも楼」近代には「料亭尼安」「旅館冨士市」「山口銀行(神戸銀行前身)」「遊郭」「置屋」「車屋(人力車)」などが軒を並べました。呉服神社の「戎社」も元はここにありました。井戸の辻への昔のメイン道路は現在の「さくら通り」に当たります。
現在残る井戸は「呉春」呉春㈱・「緑一」吉田酒造の酒蔵内と、ちょっと西の精肉店「日の出総本店」の裏に井戸が残されていてお稲荷さんが祀られています。
誓文払い⇒ 商人・遊女などが商売上の駆け引きで「嘘」をついた罪を拭うために神仏に参詣し罰を免じてもらう行事ですが商人はその意味でお客さんにお詫び感謝の気持ちを込めて「安売り」(大売出し)をしました。
高札場 ⇒ 役所の法度(ほっと)掟書き(おきてがき)犯罪者の罪状などを書いた板札を高く掲げた人目を引く場所
戎 社 ⇒ 池田恵比寿は元々呉服神社の社地にありましたが、町内の繁栄の証(あかし)にと巡礼橋(呉服橋)の東詰へ移し、更に栄本町の井戸の辻に祀られましたが、明治40年頃呉服神社に還りました。平成4年新築されて現在のお社となりました。
0 件のコメント:
コメントを投稿