なぜ「大一文字」は市内から見えないの?
「愛宕火は 斜めにとぼる 池田かな」 稲束 香山(いなずか こうざん)
毎年8月24日「大一文字」の火文字は池田市内から見ようとしても斜めになって良く見えない。何故なんだろうと不思議に思われる方も多いと思います。確かな記述はないのですが私なりに推測してみますと、ひとつは愛宕神社の参詣道に当たることです。昔からの「愛宕道」は油掛地蔵前から(がんがら火小松明の降りて来るところ)登山道となっています。今も宝永元年(1704)「左 あたごみち・是より九町」(985m)の道標が残っています。ここから階段を登って公園をぬけて秀望台に至る道が昔からの参詣道となります。途中に気をつけていると町石があって愛宕神社までの距離があと何町あるか解ります。現在はすべて残っていないのですが「秀望台」は町石4町の場所位に当たります丁度五合目(145m)です。ここに愛宕神社一の鳥居が建てられています。元禄3(1690)
甲賀谷町(城山町)が寄進した鳥居です。この鳥居の真上に「一の火文字」が文政年間の
始め(1804頃)に点されました。(現在はドライブウェイが出来たので下になりました)
火文字を焚くのに最も適した場所で、はからずも西向きなってしまったのではないかと思います。その他向い側の「釣鐘山」の点灯と競いあった。とか西方浄土へ向けてとか、昔の為奈県・川辺郡を意識したとか「唐船が淵」から見えるようになど考えられますが、現在最も美しくみえるのは「呉服橋」からの展望です。「大一文字」になったのは明治から大正初期の頃からです。
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